完璧をやめたら、心が少し軽くなった日

「なんでこんなに疲れてるんだろう?」

会社からの帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見てふとそう思った。残業続きで、帰っても夕飯を作る元気がなく、気がつけばコンビニのおにぎりと味噌汁の毎日。SNSには丁寧な暮らしをしている誰かの投稿が並び、自分との違いに落ち込んだ。

「私、頑張ってるつもりなのに。」

そう思っていた。でも今思えば、「頑張る方向」を間違えていたのかもしれない。


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完璧でいることが、習慣だった

小さい頃から「ちゃんとしてるね」と言われるのが好きだった。通知表も成績も、綺麗にまとめたノートも全部、「ちゃんとしてる私」を作るための道具だった。失敗しないように、間違えないように、完璧でいようと努力した。

学校では常に「優等生」だった。友達の前でも先生の前でも、自分の感情を抑えて「良い子」でいようとした。だから、本音を言えない自分がいたし「わがまま」と思われるのが怖かった。

社会人になってからもその癖は抜けなかった。メール一通に30分かけ、上司の言葉の裏を深読みしてストレスをため、ちょっとした言い間違いに夜眠れなくなった。

完璧じゃない自分が、怖かった。


心が限界を迎えたあの夜

ある日、社内の大きなプロジェクトが急に動き出した。数十ページの資料を短期間で作成し、毎日のようにチーム会議が入る。私は「できません」と言えずに全部抱え込んだ。

気づけば朝まで寝付けない日が続き、頭痛と吐き気が止まらなくなっていた。体調不良で欠勤し、自宅のベッドでひとり泣きながら思った。

「私、何のためにこんなに頑張ってるんだろう」

大切にしたかったはずの生活や健康、人間関係が、全部後回しになっていた。


はじめて「手を抜く」ことを許した日

回復には少し時間がかかった。でも、ある日を境に私は決めた。

「60点でいこう」

メールは丁寧だけど時間をかけすぎない、昼休みはスマホを置いて10分だけ外の空気を吸う。食事は外食でも罪悪感を持たない。タスクは今日中ではなく、今週中に変えた。

初めは怖かった。けど、不思議と何も壊れなかった。むしろ、少しずつ仕事も人間関係も、まるくなっていった。

完璧じゃないとダメだと思っていたのは、自分だけだった。


完璧じゃなくても愛されるを知った瞬間

ある日、友達との待ち合わせに遅刻してしまった。以前の私なら、ひどく落ち込んで何度も謝り、しばらく自己嫌悪に苦しんでいただろう。

でもその日は「ごめんね、ちょっと疲れてて寝坊しちゃった」と素直に言えた。すると友達は笑って「よかったよ、無事で。お茶でも飲もう」と言ってくれた。

その時、思った。

「ちゃんとしてなくても、愛されるんだ」

その経験が、完璧じゃない自分を少しずつ許せるようになったきっかけだった。


過去の自分との対話

私は今でも、ふとした瞬間にあの頃の自分を思い出す。

深夜2時、パソコンの前で泣きながら資料を作っていた私。
怒られないように、嫌われないように、ずっと緊張していた。

あの頃の私に、こう言ってあげたい。

「大丈夫、全部やらなくていいんだよ。失敗しても、人は離れていかないよ。もっと、あなた自身を大事にしていいんだよ」


家族との関係に現れた完璧主義の影響

私の完璧主義は、知らず知らずのうちに家族にも影響を与えていました。

特に母との関係。小さい頃から「ちゃんとしなさい」が口癖だった母に、私はずっと「期待に応えなきゃ」と思って育ちました。成績も進路も、心のどこかで「親をがっかりさせないように」という気持ちが強かった。

社会人になっても「娘として完璧であろうとする私」は、母に本音を打ち明けることができませんでした。

「つらい」「助けて」が言えなかったんです。

一度だけ、心が限界にきて「しんどい」とLINEしたことがありました。母はすぐに電話をくれて、こう言いました。

「しんどかったなら、もっと早く言ってくれたらよかったのに」

涙が止まりませんでした。私は勝手に「ちゃんとしなきゃ」と思い込んで、甘えられない子どもを演じていたのです。


恋愛・結婚生活での完璧主義のズレ

恋愛でも、完璧主義のクセは出ていました。

「彼にとって理想の彼女でいたい」「弱みを見せたら嫌われるかもしれない」そんな思いが先立ち、自分を偽るようになっていました。

たとえばデートの計画は、私が全部立てて、遅刻も体調不良も許せなかった。連絡が遅れると不安になり、常に「ちゃんとした関係」を求めていました。

結果、パートナーにとっては息が詰まる存在だったと思います。あるとき、言われたんです。

「もっと頼ってくれていいし、素のままでいてほしいよ」

完璧であろうとするほど、関係性は不自然になる。相手に「こうあるべき」を押し付けていたのは、実は自分だったんだと気づきました。

結婚後は、さらにその傾向が強くなりました。料理・掃除・金銭管理まで全部自分でやろうとして、ある日ぷつんと糸が切れました。

そのとき夫が言ってくれた言葉。

「無理しないで。二人でやろう」

それ以来、私は「家事が完璧な妻」よりも「一緒に笑えるパートナー」でいようと思えました。


復職・転職時に完璧を手放す勇気を得た話

一度、心身の不調で退職したあと、私は長い間「次の仕事では完璧にやらなきゃ」と気を張っていました。

ブランクがあることへの不安、新しい職場への緊張、人間関係のゼロスタート。全部が怖かった。

でも、転職先の先輩が初日にこう言ってくれたんです。

「最初は失敗して当然だから、わからないことはすぐ聞いてね」

この言葉に、心がすっと軽くなりました。

完璧じゃなくていい、未熟でもいい、学ぶ姿勢があればいい。そう思えるようになってから、私は仕事が少しずつ楽しくなりました。

実際に何度もミスもしました。でも、そのたびに「次はこうすればいい」と周りが支えてくれて、完璧よりも「素直に学ぶこと」の大切さを知ったのです。


完璧をやめたら、人とちゃんと繋がれるようになった

振り返って思うのは、完璧をやめたことで、人との距離がぐっと近づいたということです。

自分を守るための「ちゃんとした自分」を手放したとき、ようやく誰かと「本音」でつながれるようになった。

今では、失敗談を笑いながら話せるし、弱音を吐ける場所も増えました。

完璧を目指すことは、時に「孤独」を生みます。
でも不完全さを認めることは、「共感」を生みます。

それに気づけたのが、私にとっての一番の転機だったのかもしれません。

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