バリバリ働く人も、のんびり生きたい人も、家庭を大切にする人も。どの生き方にも価値があると認めあえる社会があると良いと思います。
「みんな違って、みんな正解」であっていい
「もっと頑張れ」「これぐらい普通でしょ」「甘えてるだけじゃない?」
働き方や暮らし方にまつわるこの手の言葉、よくききます。
働き方改革や多様性の尊重が叫ばれる時代とはいえ、未だに根強く残るのは「正しい働き方とはこうあるべきだ」という、見えない共通ルールのようなもの。
でも、私は思うのです。そもそも人には、向いている働き方があるのでは?
バリバリ働くのが向いている人もいる
たとえば、朝から晩までエネルギッシュに働くのが好きな人。
目標に向かって突き進むことが性に合っている人。
そんな人が存在するのは確かです。
そういう人は、社会の歯車というより、むしろエンジンのような存在。
動き続けることがストレス解消になっていたり、達成感や収入が生きがいに直結していたりすることも多い。
だから、そういう人はぜひ自分のペースでガンガン突き進んでほしいし、尊敬もしている。
でも、誰もが同じエンジンを持っているわけじゃない。
そのことに、もう少し優しい目が向けられてもいいと思うのです。
ゆっくり働くのが向いている人だっている
毎日ぎりぎりまで詰め込んだ働き方をすると、心も体も悲鳴をあげてしまう。
そういう人は「のんびり型」「丁寧型」とでも言えばいいでしょうか。
一つひとつのタスクをじっくりこなして、空気や感情の変化にも細やかに気づける人。
チームの調整役や、気配り上手な存在として重宝されているのに、なぜか「スピード感が足りない」と言われがちなのも、このタイプです。
けれど、彼らの働き方があるからこそ、組織のバランスは取れているし、安心感が生まれる。
のんびり働くことは、怠けているのではなく、自分を守る、生きる工夫なのです。
家事育児に専念するのが向いている人も
家事や育児に集中したい。家庭を整えることに誇りを持っている。
それができるのなら、社会的な役割として胸を張っていいはずです。
「家にいるなんてラクでしょ?」と言われたことのある人がいるかもしれません。
でも、それがどれだけ重労働で、神経を使う仕事か、経験者ならよく知っているはず。
一日中、家族の体調や予定を把握しながら家事を回し、子どもの安全と心のケアを同時にこなすのは、実のところハードワークの極みです。
この働き方に適性がある人、喜びを感じる人も確かにいて、だからこそ社会は回っている。
けれど、それに、稼ぎという数値がつかないだけで、低く見られてしまうのは、本当に悲しいことです。
なんでもこなせる超人型もいるけれど
たまに、います。
仕事も家事も趣味も、なんなら副業もサクサクこなして、疲れている気配もない。
まるで何役もこなすスーパーヒーローのような人。
彼らを「理想像」として扱うことも多いけれど、たぶんそれは参考にするレベルでいい。
真似をしようとするほど、自分をすり減らしてしまう人のほうが多いから。
尊敬はしても、比べなくていい。
超人型の人たちですら、裏では努力と工夫の積み重ねで成り立っているのですから。
自分に合ったスタイルを見つけていい
大事なのは「自分がどのタイプか」を知り、そのスタイルに合った選択をすること。
バリバリでも、のんびりでも、家事育児でも、全部やる人でも。
「自分がラクに続けられるペース」で生きていくのが、一番しあわせだと思うのです。
そして、他人の働き方が自分と違ったとしても、批判したり、上下をつけたりしないこと。
その選択には、その人なりの背景と理由があるから。
互いを責めない社会に、少しずつ
誰かの働き方を見て、「いいな」と思ったら、まねすればいい。
「無理そうだな」と感じたら、参考にしないでいい。
それぞれが、それぞれに合った場所で、合ったスピードで生きている。
そんな、多様な正解が並んでいる世界のほうが、健全で、美しいと思いませんか?
すべての人が、同じ働き方を選ぶ必要なんて、ないと思います。
向き・不向きは、ちゃんと存在します。
だからこそ「私はこれが合ってる」で、ちゃんといいのです。
最後にひとつだけ
皆さんが、選んだその働き方が、もし少しでも「しあわせだな」と感じられるものなら。
それはきっと、正解なんだと思います。
私も、誰かの評価よりも、自分の心地よさを信じてみるようにします。