持続可能な人員配置がもたらす企業の強さ

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―構造的疲弊を生む慢性的リソース不足の落とし穴―

数回、転職を繰り返しました。その中で会社にとって持続可能な組織であるのかを考えることがありました。

会社は、良く人手不足といいます。しかしながら、持続可能性を考えた場合、本来の組織はどうあるべきなのか考えてみました。

職場における「適正人員」というテーマは、業種・業態を問わず、多くの組織が直面する課題です。その中で、ときに経営者や管理職の方がネット上でこういう書き込みをみる事があります。

「人員は、少し足りないくらいがちょうどいい。」

この言葉は、一見すると「無駄な人件費を省く」「効率性を高める」といった合理的な経営感覚に基づいた意見のように思えます。しかし、その裏には現場の疲弊や組織崩壊を招くリスクがあるように思えます。

「人員を意図的に不足気味に保つことの問題点」について、平常時・繁忙期・危機時という三つの局面から整理し、その結果として生じる人材流出や職場崩壊のメカニズムについて考えてみました。


■「少し足りない」の定義の曖昧さ

まず前提として「少し足りない」とは誰にとっての基準でしょうか。人員配置のちょうどよさは、単なる数の問題ではなく、業務内容・労働時間・個々のスキル・チームの成熟度など多くの要因に依存します。

しかし現実には、現場の負担を把握しきれていない管理者や経営層が、コスト削減や生産性向上を目的として、理想的な不足を設計するケースがあるように思えます。問題は、この設計が現場での運用段階になると「慢性的な余裕のなさ」として表れる点です。


■平常時:無理を前提とした日常運用

たとえ、平常運転と呼ばれる状態であっても、ギリギリの人員体制では以下のような問題が生じます。

  • 休暇が取りづらくなる(代替要員がいない)
  • 一人あたりの業務量が常に高水準
  • 突発対応(体調不良・トラブル)への余力がゼロ
  • 組織に「バッファ」が存在しない

その結果、社員は常に緊張を強いられ「通常時=すでに疲弊状態」という構図が出来上がります。


■繁忙期:業務が破綻する予兆

では、その体制で繁忙期に突入したらどうなるか。言うまでもなく「少し足りない」は、「まったく足りない」へと変質します。

  • 残業が常態化し、労働時間が限界を超える
  • 対応漏れ・納期遅延・品質低下が連鎖的に発生
  • 新人や若手への教育・指導に手が回らなくなる
  • メンタル不調者が増える

特に注意すべきは「補充すべきタイミングで補充できない構造」が、組織の持続可能性を損なっていく点です。


■修羅場期(トラブル・災害・離職の波):職場が崩壊する

最悪のケースは「修羅場期」とも言える非常事態において露呈します。

  • キーパーソンの離職による知識の喪失
  • 離職者が他者の負荷を増大させ、連鎖退職を引き起こす
  • 現場の雰囲気が崩れ、採用しても定着しない
  • 顧客対応が限界を超え、信用・契約が失われる

結果として「人が足りないから辞める人が増え、さらに人が足りなくなる」という負のスパイラルが発生し、組織全体の機能が停止することさえあります。


■「少し足りない」は、慢性的な我慢に変わる

一部のマネージャーは「人が少ない方が、皆が協力して頑張る」と言うかもしれません。しかし、それはあくまで短期的な視点であり、持続可能な運営とは言えません。

現場のモチベーションは、「我慢の限界」と「貢献の実感」とのバランスで成り立っています。「少し足りない状態」が長期化すれば、それは、工夫と連携の促進ではなく、忍耐と諦めの蓄積に変わるのです。


■「余白」はコストではなく、戦略である

現代の労働環境では「余白のある組織運営」が求められています。余白とは、単に、人が余っている状態ではありません。

  • 学び直しや成長のための時間
  • 他者支援に回れる余裕
  • イレギュラーへの柔軟対応
  • 心身の安定維持

これらが「平常時から確保されていること」が、結果的に組織のレジリエンスを高め、社員の定着やパフォーマンス向上につながると思います。


■人を「計算式」ではなく「生身」として扱う視点を

「少し足りないぐらいがちょうどいい」という言葉は、残念ながら現場の現実と乖離した発言であることが多いのが実情です。

本当に優れた組織とは「余裕」と「柔軟性」を内包しながら、成果を出し続けられる仕組みを整えていると思います。

人は機械ではありません。
人数の最適化を語るなら、まずは、負荷の適正化を見つめ直すこと。
経営と現場の視点を重ねながら「持続可能な人員配置」とは何かを、今こそ考える必要があるのではないでしょうか。

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